「○○べき」にしばられて
人に合わせすぎていませんか?
私の知り合いで
ランチをみんなで食べに行くと
かならずランチを残す人がいました
お腹がいっぱいのときもあるでしょう
体調が悪いときもあるでしょう
体調が悪いときもあるでしょう
最初はそう思っていたのですが毎回です
しかも、お腹がいっぱいでちょっと残すという量ではありません
ほんの一口二口食べて残すときも多々ありました
私としては「もったいないなぁ」という気持ちです
さらには作ってくれた方に失礼かなとも思いました
料理をつくってくれた方
お野菜をつくってくれた方
お米をつくってくれた方
様々な方の思いがつまっているお料理だからと思ったからです
作ってくれた人に感謝しながら食べよう❣
とか
出されたものを残すのは失礼だから
とか
出されたものを残すのは失礼だから
とか
こんな思いや捉え方が私の中にあるのかもしれません
しばらーくたってからその知り合いに聞いたことがあります
「なんでちょっとしか食べないで残しちゃうの?」と
彼女曰く
「みんなが頼んでいるからそんなに食べたくなくても一緒に頼まないと悪いと思って」と
ここで質問です
あなたは、この答えを聞いてどう思いましたか?
私は
なんだか周りに気づかいしているつもりだけれど
「みんなに合わせるべきだ」
という捉え方をしているように思いました
また逆に
相手の方を大切に思っているからこその行動かもしれません
なんだか周りに気づかいしているつもりだけれど
「みんなに合わせるべきだ」
という捉え方をしているように思いました
また逆に
相手の方を大切に思っているからこその行動かもしれません
でも、頼みたくないものを頼んで
それでみんなと楽しくランチができているのかな?
それでみんなと楽しくランチができているのかな?
とも思いました
私も以前は
「私だけ違うもの頼むのはちょっとなぁ?」と思っていました
「私だけ違うもの頼むのはちょっとなぁ?」と思っていました
その奥には
みんなと同じでないといけない
みんなと同じでないといけない
変わり者と思われるたくない
嫌われたくない
と、思う自分がいます
自分は本当はなぜみんなと違うのはいやなのか?
と考えた時に
嫌われたくない
変わり者だと思われたくない
みんなに合わせるのが礼儀でしょ
嫌われたくない
変わり者だと思われたくない
みんなに合わせるのが礼儀でしょ
と、思っている自分がいました
ある日
友人とカフェに行く機会がありました
友人とカフェに行く機会がありました
彼女はコーヒーは好きではありません甘党です
カフェで注文したものはケーキのみ
またまた私はその友人に聞きました
「飲み物は頼まないの?」と
彼女の答えは
「コーヒーは好きじゃないし
何もカフェだからって飲み物頼まなきゃいけないってことないでしょ」
何もカフェだからって飲み物頼まなきゃいけないってことないでしょ」
ワーーーーーーー
眼から鱗
私はカフェでは飲み物を頼むもの
と、思い込んでいました
と、思い込んでいました
そうか、別に飲みたくなければ頼まなくてもいいんだ
自分が欲しいものだけでいいんだ
この一件があってから
私は自分の好きなものだけ頼むようになりました
さて、話をもどします
「○○べき」は自分に正直でないこともある
ということです
「○○べき」の奥には
あなたの隠れた気持ちがあるようです
あなたの隠れた気持ちがあるようです
それに気づけたら
人に合わせてメニューを頼むことなく
自分が食べたいもの
自分が飲みたいもの
自分が飲みたいもの
自分に正直に決められたり行動できたり
するのではないでしょうか
するのではないでしょうか
自分を大切にするって
自分に正直に生きる
ということに通じるようです
自分に正直に生きる
ということに通じるようです
あなたは自分を大切にしていますか?
あなたは自分に正直に生きていますか?
「○○べき」と思い込んでいませんか?
一度、値段を考えたり相手を考えたりせずに
自分が好きなもの、食べたいもの、飲みたいものを頼んで
開放感をあじわってみてください
自分が好きなもの、食べたいもの、飲みたいものを頼んで
開放感をあじわってみてください
どんな気持ちになるでしょうね!
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